タグ: 教えるスキル

  • 教師の「手」の使い方で生徒の演奏が変わる

    いちろーたです。

    《教師の手の使い方で生徒の演奏が変わる》

    教師の手の使い方次第では
    生徒の演奏をどのようにでも変えることができます。

    教師が生徒を思い通りに操ることもできます。

    教師が生徒の思いを引き出して
    生徒の思う通りに進めるように教師が後押しすることもできます。

    教師の手の使い方次第で
    生徒さんをどんなところへ向かわせるかが変わります。

    これは、
    恐ろしいことのようですが
    素敵なことでもあります。

    「教師と生徒」を「わたしと楽器」に置き換えてみましょう。

    《わたしの手の使い方で楽器の音は変わる》

    当たり前だと思いましたか?

    実際に、手の使い方で音は変わります。

    これは、力加減の話ではありません。

    あなたの手は楽器に命令することもできますし
    あなたは手を通して楽器に何が起きているかをきくこともできます。

    どのような手の使い方をするかによって
    単に音色が変わるのとは違う変化が起こります。

    それは、演奏プロセスそのものが変容するからです。

    「命令する手」
    「きく手」

    この違いを考えてみてくださいね。
    きっと、変化に気づくことができるはずです。

  • 誕生日に思う……「一年前の自分と《感受性の豊かさ》を比べる」

    昨日はいちろーたの誕生日でした。
    Facebookってすごいですね。

    ふだんは「イイね!」を押すだけで通りすぎてしまう人でも
    「誕生日おめでとう」というメッセージをくださったりする。

    これって、すごくないですか?

    いちろーたは「すごいなー、ありえないよなー、ありがたいよなー」って思ったんです。

    だって、ふだんなにもしなかった人が「いいね!」を押すんですよ。
    心のなかで「おめでとう!」とさえ思っていなかったかもしれない無関心な人が
    「えっ?なになに、今日あなたの誕生日だったの!?おめでとう!」
    と文字をつづるって、ありえんですよ。

    それまでとは違う表現に人生の時間を費やして
    いちろーたに向けてアクションを起こしてくださったことに
    感謝するとともに、敬服してしまうのです。

    そんなことを思ってみると
    去年のいちろーた自身と比べて
    喜びが一重深く、一晩たったいまも全身を静かに包んでいることに気づきます。

    あなたは
    一年前のご自身と比べて、喜びに気づく感受性はどう変わりましたか?

  • 「練習しないで上手くなりたい」というのは本当に無駄な願いでしょうか?

    「練習しないで上手くなりたい」というのは本当に無駄な願いでしょうか?

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

     「練習しないで上手くなりたい」

     ……って言われたら、どう想いますか?

     「そんな都合のいい事を言うな!」
     「練習しないで上手くなるわけがない!」
     「そんなこと言っているヒマがあったら練習しろ!」

     と思うでしょうか。

     昔のいちろーたは、間違いなく、上の3つで問い詰めていたような気がします。

     いまは別のことを思うんですよね。

     なんで上手くなりたいの?
     上手くなるって、どういうこと?
     練習して上手くなるのはダメなの?

     時には、こうしたワガママに付き合うのはいかがでしょうか。

     自分でも気づかずに持っている信念や価値観に出会うことができるかもしれません。
     そうなると、面白いものですよ。

    先入観をこわしてみよう!

    ★本題より長いオマケ★

     練習には2種類あります。

     「へたになる練習」
     「うまくなる練習」

     またの名を

     「愚者の練習」
     「賢者の練習」

     またの名を

     「意図のない練習」
     「意図のある練習」

     といいます。

     練習というのは、極論すると
     「時間の自己投資」です。

     どんなに愚かな練習であっても、たったひとつ目的を持つだけで、賢い練習に変えられます。
     その目的は、なんでもいいのです。

     「作品を理解する」
     「技術の抜け目を無くす」
     「先生に褒められたい」
     「モテたい」
     「ひまつぶし」
     「楽器に触って癒やされたい」

     本当になんでもいいんです。

     「練習しないで上手くなる方法を見つけるため」
     ……でもいいんですよ(笑

    練習しないで上手くなる方法

     最後まで読んでくださったお礼に
     「練習しないで上手くなる方法」をお伝えします。

     それは
     「こんなことは練習とはいえない」と思うことを
     「こんなことをしても絶対にうまくならない」と思って本気になって
     やることです。

     さて、ふだん何気なくやってしまっていた練習と比べて、何が違うでしょうか?

    ●オマケ課題

     「こんなの無駄」と思うことを
     わざわざ選んで「絶対役に立たない」とつぶやきながら、やる

    いちろーたの実践例
     「楽譜を逆さまにおいて練習する」
     「バカバカしいくらいゆっくりやる」
     「練習にならないくらいプレスティッシモで練習する」
     「真っ暗闇の倉庫で練習する」
     「腕立て伏せで腕がプルプルになってから練習を始める」
     「両手に軍手をはめて音階練習をする」
     「大好きな『ドラえもん』と『ゴルゴ13』を読む」
     ……などなど。

     「私のほうが、もっと役に立たないよ!」
     と言えるものがあれば、Facebookやメルマガでご紹介します。
     ぜひ教えて下さいね。

  • ★音楽家だからこそ言葉と思考を鍛えよう★

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    ★音楽家だからこそ言葉と思考を鍛えよう★

    「音楽は世界の共通語」
    とか言いますよね。

    では、音楽がうまくなったら、どうなるのでしょうか?

    「英語が上手くなりたい」
    と言って英会話を学ぶ人がいます。

    英語が上手くなって何をしたいのか、こそ大事。

    音楽がうまくできるようになったら
    それを何に使いたいのでしょうか?

    言葉を使うとき、思考が働きます。
    言葉は思考するための強力な道具です。

    私たちは思考なしには生きられません。
    どんな思考を持つかで、幸福度合いも変わります。

    どんな思考を持つかは、変えられます。
    思考を作り変えるための道具が言葉です。

    私たちは
    思考と行動を自分の望む方へと導いて行けるように
    言葉の扱い方を変えることができます。

    言葉は物事の一面を切り取るものでもあり
    つなぐものでもあるからです。

    行動を変えたかったら
    人生に変化を起こしたかったら
    使う言葉に選択肢を持ちましょう。

    そして、今までに選ばなかった言葉を使い始めましょう。

    どうすればいいか?

    どうしても知りたいなら、いま使っている言葉を観察します。

    日記を書くときに
    「今日一番印象に残った言葉」と
    「それを受けとって起こした行動」
    を書き出します。

    さて、何がわかるでしょうね( ^ω^ )

    書いた人だけがわかります。

    ●今回の課題
    自分が受けた刺激と、自分が起こした反応を言葉に書き起こす

  • 【バイオリンの先生】弓を持つ親指が曲がらない生徒さんを、どう教えたらいいかわからない

    「弓を持つ時、親指を曲げられません」

    あなたがバイオリンの先生だったとして、生徒さんからこう言われたならどうしますか?

    大事なのは、カタチを教えることではありません。
    いったい、何を教えればよいのでしょうか。

    大切な生徒さんを挫折させたくなかったら《何を教えるべきか》を学びましょう。

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    「形の作りかた」から入って、結果的に音がゴキゲンになっちゃうレッスン

    そんなお声もいただいているのが、いちろーたのレッスンです(^^)v

     教則本の「弓の持ちかた」を読むと
     親指はここに置いて……
     他の指はこの位置に置いて……
     それぞれの指は、どのくらいの角度に曲がっていたらいいか……

     が書いてあったりします。

     それでできちゃう人はいいんです。

     問題なのは

     「そんな曲げかた、できません」
     「曲げたいのに曲がらない」
     「はじめは曲げているけど、ひいているうちにまっすぐに伸びてしまう」

     というときにどうするかです。

     さすがに教則本ってそこまで書かれていないように見えます。
     よく読めば、答えが書いてあったり、書いていなかったり。

     結局、わからないままになることもあります。

     というわけで、指導者の言葉選びで大事なのは
     《動けるようなメッセージを渡す》
     ということになります。

     いまから発する言葉が相手にとって《動けるメッセージ》なのか
     それとも《動けないメッセージ》なのか

     判断できるようになっていくと、レッスン力がアップしていきます。

     さらにレッスンスキルのアップを目指すなら
     生徒さんが抱いている《動けないメッセージ》を見つけ出して
     《動けるメッセージ》へと変換してあげられるようになっていきましょう。

  • あえて止めて「ひとつ戻る」ことの意味〜アレクサンダー・テクニークをともに学んだ仲間に気づかせてもらった大切なこと

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

     長くなりますが書きます。

     昨日は、かつてアレクサンダーテクニクを共に学んだ仲間の開催するワークショップ「自由自在な身体の使いかた超入門講座」に、いち参加者として参加してきました。
     そこで、ボクはバイオリンの演奏を始めるまでの動きを見てもらいました。

     そのときに頂いた助言が
     「やりたいことの《ひとつ前》に戻る」
     です。

     普段、演奏する動きや演奏のための準備動作に着目して指導することが多いいちろーたにとって、いつの間にかはまり込んでいた盲点に気づかせてもらった瞬間でした。

     盲点に隠れてしまっていたのは
     《動きは、動く前から始まる》
     ということです。

     もう一つ深く突っ込んだ言い方をするなら
     《動きの質を高めたいなら「どんな状態から動き始めようとしているか」を知り、「動き始めるのは、どんな状態を作ってからか」を決めることが貢献する》
     ということを知っていたのに、見えなくなっていました。

     自分がしているレッスンでは、来てくださった人にお伝えしていたはずなのに、自分が行動する時には抜けていました。

     いま振り返ると
     「楽器から出る音を、いま回りにいる人に聞かせたい」
     という思いに目がくらんでしまい、そのために必要な自分の準備の手順を、いくつか飛ばしてしまったのだなと思い出せます。

     演奏を上達したいと願うときに、演奏する動きそのものを磨こうという人は多いとおもいます。
     《音を出すための動作》って、熱心に練習しますよね。

     演奏の元になる、音楽的な素養を磨くという人も多いです。
     《ソルフェージュ》とか《一流の演奏に触れる》とかにも熱心ですよね。

     演奏を準備する動きに着目する人も多いです。
     《構えかた》を磨こうと熱心な人もいます

     いちろーたは、この《構え方》のことを他の人に比べてうるさく言っているかと思います。

     では、演奏の準備を始める前の自分の状態を磨こうとする人はどれだけ居るでしょうか。

     楽器を演奏する前の
     楽器を手に持つ前の
     楽器ケースを開ける前の
     楽器ケースに近づく前の
     楽器ケースに目を向ける前の
     楽器を演奏しようと思う前の
     ただ、そこに立っている

     という自分の状態を磨こうとしているかどうか、です。

     いちろーたは《構えのセルフケア》ということをうるさく言っていますので
     構える動きそのものばかり磨けばいい、と思わせてしまっているかもしれません。

     本来、構えとは、やりたいことをやりとげるためのすべてのことです。

     その意味でいうと《構え》というのは、動いていても、動いていなくても、その場に自分を居させるためによりよい選択をしつづけるということ。
     その構えスキルを自ら磨き上げられるようになるのが 《構えのセルフケア》が目指すところです。

     一般的には、その場に居て、何かをする前の状態のことは
     「何もしないで、ただ居るだけ」
     と呼ぶ人が多いように見受けられます。

     実際には、その場に居るためにしている何かがあります。

     床に立っているのなら、床に足を置いています
     その足の上に脚や身体の全部がのっています
     その一番上に頭が来るようにバランスをとります
     ……これが《立つ》です。

     もしもあなたが立って演奏するのなら、演奏そのものを磨くことも大切なことですが、立つことそのものを磨く価値があります。

     想像してください。

     同じ演奏の技量がある人が
     慣れた床のうえで立奏するのと
     その場に立つこともできないようなグラグラ揺れる船の中で立奏するのと
     どちらのほうが、演奏の技量を発揮しやすいでしょうか。

     極論すると、グラグラ揺れていても演奏できるような立ち方ができるのが最強ですね。

     では、立ち方を学べばいいかというと、そうではないのです。

     立ち方にも座り方にも、楽器の持ちかた、演奏の磨き方にも通じる
     自分の使いかたの根本となるバランスの取り方をマスターしちゃいましょうということです。

    ☆動きを止めて「ひとつ戻る」理由は何ですか?☆

     ソロでも合奏でも、リハーサルを止めて、元の場所に戻ることありますよね。
     でも、それってどんな理由なのでしょうか。

     音楽は、止まったら音楽ではなくなります。
     「音楽をしたいのに、それでも音楽のための動きを止める」
     そこには、どんな意図があるのでしょうか。

     もしも、いまから演奏をするのなら……
     いつも気をつけていることの、もう一つ手前に戻ってみましょう。

     楽器の発音に気をつけているのなら、発音する直前のこと。
     持ちかたに気をつけているのなら、持つ直前のこと。

     そういう時間をあなた自身に与えておいて演奏を始めてゆくと
     どんな演奏になるでしょうか

    ●今回の課題
     やりたいことの《ひとつ前のこと》を調べる

  • y=f(x)とか点Pとかでつまづいて立ち直った話〜『やらされている勉強』から主導権を取り戻すみたいな話

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    今回は、邪魔された思考を自分の手に取り戻せた!みたいな話です。

    いちろーたは算数や数学が好きなつもりでしたが、ホントの算数・数学好きとはどうやら違うようです。

    好きなものを突き詰めていくと「構造」というところに行き着く気がします。

    「そんな力はどこからくるのか」という探求が好きです。

    「どうやってそんなものが生まれてくるのか」
    「なぜ、それが生まれるのか」
    というところに関心が向かってしまうのです。

    数学だと、「なんでそんな決め事をしたのか」というところに疑問を抱いてしまうのですよ。

    なんで関数を書くのにy=f(x)と書くのか。
    yってなんだよ!
    どうしてxなんだ!
    fってなに!?

    点Pってどうして「P」と名付けられたのか?!

    と、教科書を100回読んでもわかりませんでしたね。

    わからなかったから、「これは点数を取るゲームだ」と開き直って学校の勉強に取り組むようになりました。

    点Pの命名理由なんてテストに一度も出ませんでしたからね。

    大学に入って、教養科目としての数学を学んでいくときにも、やっぱりこの辺りが邪魔をして、肝心な内容はなかなか考えられませんでした。

    あるときに、「数学は、まずひとつ約束を決める。そこから話を進めていく」みたいなことを聞かされました。

    嘘かホントかはどうでもよくて、まず「こういうものだ」という決まりを先に作る。
    そうしておいてから「その決まりにしたがうと、こんなことも言える」と話を進めていく。
    たったこれだけだと思えたときに、数学やら物理の教科書の見え方が変わった記憶があります。

    勉強でもなんでも、つまづきポイントは人によって違います。
    そして、「つまづきポイント」というのは苦手とか嫌いという意味ではありません。
    「もっと知りたい」「それ面白いかも」という、その人にとっての「深掘りサイン」です。

    ここ掘れワンワン!

    そこにとんでもない宝が眠ってるから、掘ってごらん!ってことです。

    「掘ってる場合じゃない!」
    って感じるときもあります。

    「掘りたい。でも、いまは掘っている場合ではない気がする」
    これで苦しむのなら、必要なのは選択です。
    決断とも言いますね。

    選択肢を用意することが大事です。
    しかも、選ぶのが簡単なやつを。

    「掘るか掘らないか」
    「いま掘るか、掘らないか」
    「さっきの続きに進むか、ここでさらに時間を使うか」

    たとえば、英語の本を読むときに知らない単語出てくるでしょう。
    そんなとき、読み飛ばしたっていい。
    でも、辞書で調べてもいい。
    どっちでもいいんです。

    一語ずつ意味を確かめていくのか大筋だけ先につかむのか。
    翻訳か同時通訳かでも、違うでしょう。

    「いま、なぜそれをしているのか」
    これさえ思い出せれば、自分の思考のコントロールを取り戻せます。

  • 手づくりの醍醐味…プロセスを味わうことが最高の贅沢なのだ〜自家製だらけがイヤでしょうがなかったオコチャマ時代を卒業して、感謝できるようになった紆余曲折

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    今回もバイオリンの話じゃないんですけどね。

    わが家は、超贅沢です。
    味噌も梅干しもたくあんも手づくりです。

    母が毎年、季節になると仕込んでいます。

    味噌は年越しの行事みたいなものだし
    梅干しも夏を迎える支度みたいなものだし
    大根がベランダに吊るしてあるといよいよ寒くなるのだなと思うし。

    添加物がー!とか気にせず
    シンプルゆえに奥深い味わいをもつ自家製のこうしたものを楽しんでいます。

    面白いのは、子どもの頃の僕は、これらの自家製品が嫌いで仕方なかったということ。

    理由は僕なりに切実でした。
    味噌は豆の粒が残っていてグロテスクで気持ち悪かったし、色が濃いし。
    梅干しはそもそも好きになれなかったし。
    たくあんは、甘味の薄さや色の地味さと、ひなびた感じが受け入れがたかったです。

    お店で売ってるのとか、テレビでやってるのがいいに決まってる!

    ……って思ってましたからね。

    しかも、わが家はあるときテレビが壊れて以来テレビのない生活をしていました。

    これがまた、学校でクラスメートの話に全然ついていけないわけで、そのついていけない気持ちのやり場のなさをガリ勉に向けていました。

    話は戻って……自家製のいろんなものを受け入れられるようになった第一歩は、ハッキリとは思い出せません。

    いくつかの出来事が重なったかもしれません。

    農業ベンチャーの会社に勤めていたときの経験が大きい気がします。

    レストランで働いたり農家へ研修に行ったりすることで、農法・調理の知恵に触れるようになりました。

    それからだと思います。マスメディアからの受け売りでなく「自分で食べてから、自分の言葉で言いあらわそう」と言動も変わっていきました。

    どんなものでも、できあがるまでの過程があります。

    どこから来てどこへ向かうのか。
    この「方向」を見出して行くのが実に面白いことです。

    だから、僕はレッスンをするのが好きなのかもしれません。

  • 自分の演奏動画を見るのが楽しい〜「ダメ出し」のためではなく「好きだから見る」という話

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    自分の演奏動画って好きで観ていますか?

    いちろーたの場合、研究のためにみるのではなくて「好きだから見ちゃう」です。

    見るときにうまいなー、下手だなー、と思ってもいないです。

    「へええ、こんなふうに見えるのか」

    というだけです。

    そのあとで、

    「ああ、ここは思っていたのと同じ」
    「おや、ここは思っていたのとは違う」

    という感想やコメントが出てきます。

    録音を聴くときも似ています。
    「へええ、こんなふうにきこえていたのか」
    ということから始まります。

    それだけなんですけど、面白いんです。
    そのときの自分とは違うところからの観察ができるから。

    自分の後ろ姿や眠っている姿とかは、その最たるものです。

    だからなんだというと、なんでもないのですけど。ただ、面白いなと思ったことを分かち合えたらいいなと思っています。

    こんなことでもヒントになるみたいだし。
    ……と思って書いておきます。

    では!

  • 「バイオリンの振動って、こんなに気持ちいいんだぁ」〜教えたいのは教師の勝手。楽しみをわかちあうだけで学びの場は豊かになるはず

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    ★「バイオリンの振動って、こんなに気持ちいいんだぁ」★

    あるクラスの合間に、バイオリンを触ったことがないという女子たちに囲まれたときのこと。

    「いちろーたさん、さっきのバイオリン、素敵だったよ」
    「あんなふうにひけたらいいよねー」
    と言われました。
    まだ楽器を手に持ったままだったので
    「いま、これをひいてみない?」
    とお誘いしました。

    僕が《教えるプロ》を目指して学び始めたばかりの頃のことです。
    その場で教えるなんて自分から切り出してしまったこともあって、ものすごくドキドキしていました。

    「えー、いいの?わたし、バイオリンなんて触ったこと無いわ!」

    さて、どう教えたらいいかな……。

    あなたなら、どう教えますか?

    いちろーたが最初に教えたのは
    《音を出すために、毛で弦をこすればいい》
    ということだけでした。

    あれこれ試行錯誤しているうちは口出しせず見守っていました。
    5分とたたないうちに、立派にバイオリンらしさのある音が聞こえてきました。

    「バイオリンって、楽器も振動しているんだね。曲とかひかないで、ただ音を出すだけでもこんなに気持ちいいんだ〜」

    そのときの笑顔は、いまでも僕のエネルギーを引き出してくれます。

    そのとき僕のことを囲んでいたうちのおひとりは、もともとバイオリンを習っておられましたが
    事情があってバイオリンをなかなか楽しめずにおいででした。

    後年、ご縁がありレッスンを受けてくれました。
    そのレッスンの後にこんな感想を贈ってくれました。
    ご紹介します。

    バイオリンって、すごく自由な楽器だった。
    「こうでなければ」じゃなく「こうしてもああしても、いいんだよ」というアプローチや言葉使いが新しくて、ますますバイオリン大好きになりました。

    大人になってから、でも、大丈夫そう、、、
    ぜひ一度一郎さんのレッスンを体験して見てください。

    (竹内いすゞさん 英語講師、パフォーマー)

    僕の大切な原点を思い出させてくれるメッセージでもあります。

    あなたも気持ちよさを味わえますように

  • 雨の日は楽器がならない?!〜晴れの日と同じ弾き方をして同じようにきこえる道理があるでしょうか、という話

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    台風が来ています。
    体調の優れない人も多いようです。
    わたしもそのひとり。

    と言っても、わたしの場合は気圧とかのせいでなくて、母方のおじが送って来た南蛮(辛いシシトウ)にガブリとかぶりついたせいだと思うんですね。食べて飲み込んだとたんにシャックリが出て、そのままグッタリと寝込んでしまいました。

    さて。
    雨の日はバイオリンが鳴らないという言い方をする人がいます。実際にはどうなのでしょうか。

    ひとつ言えることは、環境条件が違うのだから同じ弾き方をしても、同じように響くわけがない、ということです。

    楽器の状態も、弓の毛の状態も、奏者も聴衆も、空気も、まるで別ものなのですから。

    雨なら雨の弾き方をすればいい、ということになるわけです。

    でも、実際に何をすればいいのでしょうか。

    《今、この状況で、どんな音が聞こえるだろうか》

    こう問いかけを持って、音楽を始めるのです。

    雨が降っていても、晴れていてもこの問いかけは変わりません。

    「いまの私が、この状況のなかで楽器にきっかけを与えたら、この楽器はどう応えるだろうか」

    という観察をすることだとも言えます。

    これは天気に合わせた弾き方をマスターしたり、演奏会場の広さに合わせて弾き方変えたり、という「状況に合わせた弾き方を選ぶ」とは似ているようで異なるアプローチです。

    音楽には約束された結末がありません。
    次の瞬間を迎えるためにどう音を紡ぎ出すか。

    こうして一瞬一瞬に挑戦をして行こう!

    そんなことを思いながら、雨の音を聞いています。

    (2017.9.17記す)

  • 「どうして教えているの?」〜楽しくて気持ちいい、その他に理由などあるでしょうか

    いちろーたが、教える仕事をするのは、学ぶことが何よりも楽しくて気持ちいいからです。

    超自己チューな理由ですよね。
    自分が本気で愛せるからこそ続くのでしょうね。

    学ぶことって何をするよりも楽しいし気持ちいい。
    そして、学ぶなかでも、最も魅力的なのは、他の人が学びを得た瞬間に立ち会うこと。

    そんなふうに思ってます。

    学びのきっかけをどう作ったらいいのか、そんなことを考えるのが苦になりません。ついごはんを食べるのも忘れるほど熱中してしまうこともあります。

    あなたが熱中してしまうのは、どんなことでしょうか?
    それのどんなところに魅力を感じているのでしょうか?

    楽器演奏が好きすぎてうまくいかない人のためのセミナー、やります。

    好きなだけうまくなって、気持ちよく音楽を分かちあいたいなら
    時間を作ってみてくださいね。

  • 「軽い」にも重さがある〜コンビニスイーツ『ふわふわスフレ』がおいしかったけど重かったという話

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    珍しく昼ご飯の後にコンビニでスイーツを買って食べてしまいました。
    白いふわふわなスフレ。

    ☆「軽い」にも重さがある☆

    軽いといっても、重さがあります。

    重さがなかったら軽いとさえも思わないかもしれません。

    こういうところにも、脱力のヒントがあります。

    力も重さも直接は目に見えません。
    私たちが「軽そうだ」「重そうだ」と評価を下しているときには、何かをよりどころとしています。

    そのよりどころが何かを自覚しておくのは、問題発見や問題解決の助けになります。助けどころか、すべてと言ってもいいくらいの影響力を持っているかも知れないです。

    「軽い」とは、重さが小さいときに使う言葉です。そのとき何と比べて「重さが小さい」と判断したのか。

    そんなふうに考えてゆくことも、(やったことがなかったなら)試して欲しいことです。

    では!

    おまけ。

    例えば、自転車のハンドルを握るのに、力が入りすぎていると、うまくまっすぐ走れません。

    そのときの手や、肩や、首の力の入り具合は、見ていて推し量ることならできます。

    自転車の動きや、乗る人の動きを見ていてわかってきます。見るだけでなく聞こえるものについての情報集めもできますね。

    白いスフレ、ふわふわで危険です。
    一個だけだったけど食べすぎたかも。

  • ★演奏とか軸とか空間とか★

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    いちろーたのレッスンでは、よくお話しすることのひとつに「頭と軸」というのがあります。

    今回は軸についての基礎知識をいちろーたと共有しておきましょう。

    軸っていうのは、方向を生みだす動きのことです。

    これだけなんですけどね。

    あとは、物足りなかったら、ご自分で思索するための宿題を出します。

    気が向いたらやってください。

    お題は《軸に似ているけど軸とは異なるもの》

    「軸」と似た言葉を探しましょう。
    そして、その意味を調べましょう。
    意味が重なったり、重なっていなかったりすることでしょう。

    演奏するときに、軸がなぜ大事なのか。
    そして、なぜ「頭と軸」が大事なのか。

    考えるきっかけになるといいな。。

    オマケ。
    いちろーたが思う「軸」に似てるけど違うものを5つほど。





    他にもあるけどこのくらいにします。

    何が似ているのか、何が違うのか。
    なぜこんなことを宿題にしたのか。

    考えてみてくださいね。

  • ★あえてよかったサラダ★(音楽とカラダの話から脱線して戻ってこられるのかという実験)

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    今回はサラダの話。

    カラダじゃなくて、サラダ。

    (本当に音楽の話に戻って来られるのかな)

    サラダって、我が家だと「生野菜を切って盛り付けたもの」であって味付けはされていないものでした。

    そして、あるお店でサラダを注文して、はげしく美味だったのです。

    再びお店を訪れたとき、カウンターで作っているところを見ていて驚かされたのです。

    なんと、味付けは市販のマヨネーズだけ。

    なぜそんなに美味だったのか。
    我が家の「サラダ」はマヨネーズかかっていたけど、味が全然違ったぞよ。

    作っているところを見ていると、細かいところに違いがありました。

    トマトは皮がむいてある。
    だいたいみんな同じ大きさに切ってある。
    他にもたくさんあったけど、一番の違いは、マヨネーズをかけたのではなく、和えているということ。

    野菜にマヨネーズがのってるだけだったのが我が家のサラダ。

    語弊を恐れずいうと、マヨネーズが野菜を包み込んでいるのが、お店のサラダ。

    パスタソースが乳化しているかいないかみたいな、そんな違いです。今思い出してみると。

    サラダ、おいしいサラダはなぜあんなにおいしいのでしょうか!!!!!

    サラダは、野菜とマヨネーズを組み合わせて作れます。でも、どう組み合わせるかで味が変わります(マヨネーズじゃなくてもいいんですけど)

    ただのせるだけか、和えるのか。和えるのなら、どのような和え方をしたらどんなふうに味が整うのか。

    マヨネーズも、下手に作るとマヨネーズにならないですよね。

    演奏も料理も同じですね。

    時間の流れのなかで、なにをどうするかで結果が変わります。

    サラダも手早く和えるのか、時間をかけて和えるのか。冷やしながら和えるのか、常温であえるのか。はじめからマヨネーズ全量を投入するのか、少しずつ足していくのか、、などなど。大した違いにならないものもあれば、大きな違いを引き起こす違いもあることでしょう。

    料理のコツというのは、言ってみれば「違いを生む違いを知っている」ということです。

    演奏も同じこと。何がその違いを生むのかを知っていて、状況に応じて必要な違いを引き起こせれば望む味付けができるようになります。

    サラダを食べるとき「どうやったらこの味になるのだろうか」「どうしてこんな盛り付けなのだろうか」と考えるのも一興です。

    『おいしい/まずい』
    『好き/嫌い』

    とはまったく異なる尺度で食事をするのも、たまにはいいものですよ!

  • 《あの素晴らしい音をもう一度》ではなく《今まで出したことのない音を使う》と決める

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    久しぶりにSPの話をします。
    SPとはサウンディング・ポイントです。
    sounding pointという言葉を日本語に置き換えるとどんな表現になるでしょうか。
    「音がなる点」とか「点が音のことをしている」とかでしょうか。

    ふだん何気なく使ってしまう言葉を、あらためて辞書の意味通りや、文法の基本的な原則に当てはめて展開して行くと「えっ。。なんだ、これは?!」という、意味不明にしか受け取れない表現に行きつくことがあります。

    「点が音のことをしている」

    なんだかよくわからないですよね。
    でも、このときに「わからない」を掘り下げてみて欲しいのです。

    この言葉が本当に意味をなさないのか、自分の理解が及ばないだけなのか。いったい、真実はどちらなのかと。

    サウンディング・ポイントのことでいうと「音を生み出せる点であり、そのために弓の毛と弦が触れ合う点である」と言えます。

    「音が生まれるために必要なものが集まってくる点」という言い方も許されるかもしれません。

    どこから見るか、なにを見るかによって、見えるものは変わります。

    何かに行き詰まっているときや、新鮮味が無いことに気づいたときには、いまどんな視点で見ていたかを調べることを第一歩として、次の一歩として他にはどんな視点があり得るだろうかと調べることができます。

    たとえば「さっきの《あの音》をもう一度出したい」と思って試行錯誤してうまくいかないなら「さっきの《あの音》をはるかに超えるステキな音を出そう」と試行錯誤した方がうまくいきます。

    練習でも演奏でも《今まで出したことのない音を使う》と決めるとどんなことが起きるでしょうか?

    音楽って、本当に面白いんですよね。

  • ★「キレイな音」は捨てなさい★

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    ★「キレイな音」は捨てなさい★

    「キレイな音を出したい」そう思っているうちは、キレイな音は出ません。

    本気でキレイな音を出したいなら、どんなキレイさなのかをハッキリさせましょう。

    今回はこれだけです。

    おまけで、蛇足なことを書きます。

    キレイな音を出すよりも、実用的な練習があります。
    それは「出したことのない音を出す」という練習です。

    これ、練習の極意ですからね。

    以上、おまけコーナーでした!

  • ★松崎しげると黒胡椒ポテチに学ぶバイオリン演奏の真実★

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    ★松崎しげると黒胡椒ポテチ★

    演奏って、あなたと楽器のコラボです。

    コラボとは、コラボレーションの略。
    合作という言い方もあります。

    コラボっていう言葉から何を連想しますか?

    松崎しげるとカルビーの黒胡椒ポテチとか。

    お互いの良さを引き立たせあって、なおかつ、楽しんでもらえる形で世に出てくるのがコラボです。

    なんでこんな話かというと、楽器を演奏するのに楽器を力ずくで動かしても鳴り響いてくれないよってことなんです。

    ひとつの作品を異なる立場にあるものたちがそれぞれに力を発揮して作り上げることです。

    奏者から見た楽器は、演奏にかかわってくれる協力者なのですよ。逆もしかり。

    楽器が楽器としての価値を見出してもらえるのは、奏者あってこそであり、楽器と奏者のコラボから生まれた「演奏」というパフォーマンスの場があってこそなんですね。

    もちろん、奏者が楽器を動かすから演奏が成り立つのですよ。でも、楽器が奏者を動かしていると捉えることもできます。

    だって、音を出すのは楽器ですから。
    楽器が音を出してくれるように、奏者は楽器に奉仕するのですよ。
    楽譜を読んだり、楽器を聴衆の前に連れ出したりもするでしょう?

    この「とらえ方の転換」が腑に落ちた時に、脱力というのはあっけなく達成されます。飛躍して聞こえるかもしれないですが、アレクサンダーテクニークでいう「協調作用」とか「抑制」という誰でももともと持っている《生きることを楽しむ本能》が自分自身の中に立ち上がってくるのがわかるようになります。

    そうなると、何をしていてもたのしいですよー!

  • ★気が散りやすい僕のオシゴト集中法・キロクのチカラ★

    バイオリン応援団☆いちろーたです。

    僕はめちゃくちゃ気が散りやすいです。

    仕事をしていて割り込みで何かが入ってくるとかは、大嫌いです。

    《どうしたら仕事に集中できるのか》

    あるときひらめきました。

    《やることをリアルタイムに書き換えて行こう》

    (。・ω・。)当たり前でしたか?

    でも、いちろーたにとっては結構なインパクトでした。

    できるようになったのは、予定通りにいかないことにイライラする時間が減って、計画を作り変えることができるようになっただけです。
    たったこれだけのことで気分良くサクサク仕事を捌けるようになったんですよ。

    これも立派なセルフケアだとおもいませんか?

    何をしたかというと
    『タイムライン』と『やることリスト』を作りました。

    作り方とともに説明しておきます。

    パソコンでメモ帳を開きます。

    まず『やることリスト』を書き出します。

    やることリストは

    やると約束したことを書き出します。
    締切日時と、いつ着手したいかを書いておきます。
    リストを読み返して書き残した不安感がなくなったら書き終わりです。
    次に並べ替え。
    早く片付けてしまいたいものが一番上。
    誰も困らないものが一番下。

    タイムラインは、やることリストの上に書き加えてゆきます。

    内容は簡単でいいです。
    《自分の気持ちに区切りがついたとき》に
    《どんな区切りがついたのか》を時刻とともに記録します。
    その日の最初に手をつけたことが一番上。
    一番新しいことが一番下に来ます。

    「さあ、次はこれだ」
    「よし、これが終わった」

    という気持ちになったときに、《これ》の中身を簡単に書いていく。
    これが基本です。

    こうして『タイムライン』と『やることリスト』を
    コツコツと更新してゆくことにしたのです。
    どんなに忙しいと感じても、
    更新の手間の方が実際に仕事をする時間より長くなったとしても、更新を続けると決意して始めました。

    これができるようになったら割り込みへの対応が簡単になりました。

    割込みが起こったら
    その場では、『やることリスト』のどこに割り込ませるかだけを決めます。

    それが済んだら、割り込みによって更新された『やることリスト』に従って仕事を進めます。
    『タイムライン』には「何時何分 ○○を中断」とか書いておきます。

    なぜ集中できたのでしょうね。

    《さっきまでこれをやっていた》
    《いまからやるのはこれ》

    ということを、記憶から探さなくてもよくなったからではないかと思います。

    何しろ作業記録をすべて書き出してあるのです。
    あとで思い出すのが面倒なことを全部書き残すと決めたことで、
    《思い出す》という《大嫌いな作業》から解放されました。

    仕事のなかで《やりたいこと》の純度を高めてゆくと
    楽しくなりますよー。

    ……これがうまくいったのは、本当は別のところに秘密がある、といちろーた自身は思っています。

    自分がどの程度の仕事を捌けるのか見極めるためのデータを集めよう!

    と思えたからだと思います。

    あなたは
    自分で自分を励ますために
    どんなことをしていますか?

  • 「バイオリンやってみませんか?楽しいですよ」……憧れを叶えるために

    いちろーたです。

    「バイオリンがひけたらイイな」という憧れって、ボクも持っていました。
    小学生のころ、転校生がやってきて、音楽の時間にどうしてかしらないけど、突然バイオリンをひいてくれました。

    その子がひいてくれたのはビバルディの協奏曲イ短調。
    カッコいいなーとおもって、家にレコードがないか調べたですよ。

    家にレコードがあったかどうかは思い出せないけど、「あんなふうにひいて、友達が作れるようになったらイイな」と《憧れの種》がボクのなかにうえられたのは、この時だったのかもしれません。

    そんな小学校での出来事も忘れてしまった頃。
    高校生になった年のあるとき「バイオリンをやらないか」と、ある人から勧誘を受けました。

    その人は、小学校時代に地域の合唱団のひとつ上の先輩です。
    高校生になって、あるオーケストラに入ってビオラを始めたのだそうです。
    そのオーケストラに入れという勧誘でした。

    自分のような未経験のものでもできるのか不安に思っていると
    「いい先生が教えてくれるぞ」
    と先輩は言うのでした。

    そのときに、小学校での思い出が蘇ってきました。
    音楽室でバイオリンをひいてくれた転校生の姿。
    そして「あの曲をひいてみたい」という思い。

    「やってみないか!」
    との呼びかけに
    「はい、やります!」
    と返事をしてしまったのでした。

    いま思い出しても不思議なのです。
    どうして先輩の呼びかけに応じてしまったのか。

    小・中学生時代には、吹奏楽に入ろうかと思いつつも結局やらなかった僕です。
    小学校では地域の野球チームにこそ入りましたが、中学では部活も入らずにいました。

    いや、何も不思議ではないかもしれませんね。

    先輩のアツい思いがあったからこそ、ボクのなかに眠っていた憧れが、たったヒトコトの呼びかけで目を覚ましたのではないか……いまはそう思います。

    ツラいこともあったけれど、バイオリンに結びつけてくれた先輩の御恩には感謝するばかりです。
    ありがとうございます。

    ところで、バイオリンをやると決めた僕は、その日の夜、親に頼み込みました。
    「バイオリンを買ってください。オーケストラに入りたいです。いい先生が教えてくれます」

    これを言うのには、めちゃくちゃ勇気が要りました。
    人によっては、こんな頼みごとに勇気は要らないと言うでしょう。

    そうなんです。
    勇気の必要なポイントって、人によってぜんぜん違うんです。
    ここが面白いところです。

    セミナーやグループレッスンに参加してみると、このことがよくわかります。
    ある課題ではスラスラと答えられる人がいるのに、別の人はどんなに悩んでも答えが思い浮かばない。別の課題では、お互いの立場が入れ替わったかのようになってしまうのです。

    僕自身がグループレッスンの場で、同じことを体験しました。ボクにはすぐわかるのに、あの人には何が見えていないのだろうか。あの人には何かが見えているのに、ボクには何が見えていないのだろうか……そうやって自分とはちがう理解のしかたがあることを知り、そういう人とともにいるからこそ学びが豊かになるということを経験してきました。

    いちろーたがブログで書いているのは、こうやっていちろーたがぶつかって乗り越えてきた悩みについてです。同じような悩みがある人の励みになればという思いを持って書いています。

    そして、もっと読みたいという人のためにメール講座を書くようになり、直接レッスンをしてほしいという人のためにレッスンをするようになりました。

    いつのまにか、「先生を教える先生になりたい」と言っていた生意気な僕が、本当に教えるプロになってしまったのでした。

    自分で「教えるプロになってしまった」と書くのには勇気がいります。でも、人がそう言ってくれているのだから、それを信じることにします。

    読んだだけで元気になる
    読んだだけで演奏が変わった

    そういう声をいただけるようになりたいと願ってきましたが、書き始めて1年たたないうちにそういうお声をいただけるようになってしまったのは、自分でも驚くばかりです。
    だから、自分のことを「ボクは、もう教えるプロなのだ」とずっと言い聞かせています。

    そうは見えないと言われますが、いまだに落ち込むことはあります。
    励まそうとおもっていたこちらのほうが励まされています。
    学びたいと言う人に囲まれていることは嬉しい限りです。

    バイオリンが病みつきになったらごめんなさいね。
    でも、自分が楽しいだけじゃなくて、周りの人を幸せにできるのが音楽のすばらしさです。
    いっしょに演奏できたらどんなにすてきなことでしょうか。

    ここまで読んでくださったあなたに感謝を込めて
    いっしょに演奏できることを願いつつ