オーケストラでトランペット奏者を務めるAさんから、楽器を構えかたのご相談がありました。
「1日何時間も練習していた頃に比べると、重たく感じるのはなぜだろう?無理な持ちかたをしているからかな?」と。
前回の「口内炎の痛みを回避しながら吹く」につづいてのご相談です。
◎Aさんの前回のお悩み解決編【口内炎が歯にあたって演奏どころじゃない】
http://ezplaystrings.com/?p=3370
Aさんのお悩み「昔のように軽く持ちあげられない」
軽かった頃は、「口の形はそのままで、ちょっとだけ角度を変える」みたいな小技が自然とできていたし慣れていたので重さを感じる(=無理のある)持ち方を回避できていたんじゃないかな、と。
今でも、調子いいなって言う日には軽く感じたりするので、精神的なものもあるかもしれません。
短距離の選手が調子のいいときには進路が下り坂に見える、みたいな小説の一行ありましたよね、あんな感じです。
調子いいなって日にはちゃんと理由があって、姿勢だったり吹き方だったりがいつも理想からずれているものが何かのはずみで真ん中(これは文字通り真ん中)に来ていることが確認できるのですが、いかんせんそれを定着させることができなくてやきもきしているところです。
カラダも楽器もブラックボックスだといえます。調子とか状態というものは刻々と変わっていくものだと思えませんか?
ブラックボックスであるがゆえに、どんな状態かを知るには、何かをやってみないと、何が得られるかはわからないのです。
しかも、何かをやったことによって、ブラックボックスの状態は変わってしまうわけです。
じゃあ、自分には何ができるかな?と思って考えてみると、「どんなプランでやったら何が得られたか」を試してゆくことなんです。探究心のもつチカラを向上や成長のためにつなげるために、僕はそんな風に思って練習するようにしています。
音を出す直接の過程もふくめて、自分が音楽をするということのあらゆる段階を対象として観察してみると、演奏の質にも変化が起こります。ぜひ試してみてくださいね。
変わってもいいんだって思うと安心します。
インプットとアウトプットの組み合わせを蓄積することなんですね、練習って。調子の悪いときでもソコソコのパフォーマンスができる、とかもそういうことなんでしょうか。
音を出すことが手段だけにならなくてもいいんだと思いながら練習してみようと思います