苦手はプライドの裏返し(折り紙の思い出)

 夕食の後、新聞紙でカブトを折っていたら……

 「あんた、ずいぶん綺麗に折るねぇ……!」

 母が保育園の園児のために折って持っていくのに、折り方を忘れたというので、インターネットで折り方を調べて、いっしょになって折って見せました。

 じつは、幼稚園にかよっていた頃のボクは、折り紙の時間が大嫌いでした。
嫌いな理由というのは……

 「折り目が合わない」
 「一度できれいに折り目がつかない」
 「お手本通りにならない」
 「自分の思っている完成度に届かない」

 ……でした。

 当時のボクを、いまのボクが振り返ってみると……自分の思い描いたとおりにできなければ価値がない……なんて、子どもながらに「自分の美的評価基準」を持っていたんでしょうね。

 でも、どうすれば、それができるかということに関心が向かずに「思い通りに出来ないから、ぼくは不器用なんだ。手先が不自由なんだ。センスが無いんだ」みたいに、自分を貶めていくようになりました。

 当時は、ここまで考えてはいません。嫌いな理由をうまく言葉にできなくて、不機嫌になるだけでした。
 いまでこそ折り紙だとか、粘土細工でどんなに不格好なものができても、なにかをつくろうとしている事自体が面白いと思って取り組み続けることができるようになりました。
 ものを作ることが好きだという自覚もしています。

 世の中にはびこっている「苦手意識」というのは、自分の「大好き」が、まだまだ伸びていけるということを知らせてくれる、大切なシグナルだと、ボクは信じています。

-ボクの体験談