発見する。英語で「Discover」
覆いを取りさる、という意味。
もっと突き詰めると、こんな風にも言えるのではないでしょうか?
「自分の知っている世界を乗り越えてゆく」
……もっと簡単に言うと、
「知ってる」=「フタをする」
「知らない。なにそれ!?」=「フタを開ける」
……ってことですね!
ところで、ボクが好きなテレビ番組は「発見モノ」です。
「世界ふしぎ発見」
「ディスカバリー・チャンネル」
「出没!アド街ック天国」
「ぶらり途中下車の旅」
「空から見た日本」
「ブラタモリ」
「探検バクモン」
……などなど。
《発見》にまつわるテレビ番組は、ボクのなかでクイズ番組とともについつい見ちゃうものです。
どうして見ちゃうんでしょうね……。
で、考えたんです。「感動したときに、どんなことを見て感動したんだろう?」って。
共通点がわかってきました。
「こんな場所が、地球にあったのか!」
「この世界を、こんなふうに見た人がいたのか!」
という、自分が今まで知っていたはずのところから、思いがけないものが出てくる驚きだったり
「こんなマニアックなこと、ほかの人は知らないでしょ!」
という、内心にある優越感(ボクは前から知ってたよ、みたいな気持ち)と同時に、それをこんな風に取材してまで紹介はできないな〜という敗北感もあったりして、それを認めて惜しみない賞賛とともに見ちゃったりするわけです。
楽器の演奏が上達するのも、自分の思い込みが壊れたときだなと思うのです。
楽器に対する思い込みだったり、あるフレーズへの思い込みだったり、体の動きに対する思い込みだったり……。
どんな思い込みであるにせよ、自分がそれまでに作り上げてきた世界観は、「思い込み」「先入観」だとも言えるのです。
それをあえて壊しておいて、もう一度、いまの自分と、自分のまわりにあることを手がかりにしながら進んでいくと、結果として先入観に頼るよりも多くの学びが得られます。
これは、レッスンしているときも変わりません。
知っていることを与えようとすると、たいてい不調に終わります。
目の前で起きていることから、何を学ぼうとしているかというボク自身の態度が、そのままレッスンの質を決定します。
「教室」とか「教師」を名乗っていますが、教えようとは思っていません。
教えてと言われれば、一応は教えますが、最終的には自ら学ぶよう仕向けます。
生徒さんとともに学ばせていただくことが好きで、こうして活動しています。