あなたの演奏は死んでいるかもしれない……「どうせ練習でしょう?」
あなたはいま「自分が、いま死んでしまうかもしれない」と思ったことはありますか?
先日、防災訓練に参加してきました。
消防署の担当者は、わたしたちに言いました。
みなさんは、いま避難してくるときに「死んでしまうかもしれない」と思っていましたか?
避難を促す放送が聞こえて、経路をたどり、集合場所へ向かうときに、「天井が崩れ落ちる」とは思っていなかったし、蛍光灯が爆発するとか、ドアから飛び出してきた人にぶつかって階段から突き落とされるとか、そんなことは考えていませんでした。
あなたの演奏はいきていますか?死んでいますか?
訓練からもどってヴァイオリンを持ちあげたときにおもいました。
何のために訓練しているのだろう?練習って、何のためにしているのだろう?
作曲家を思いうかべる。演奏する舞台を思いうかべる。聴衆の一人ひとりを思いうかべる……このようにして、思いうかべるだけでも練習を変えてゆくことができます。
何をもって、音楽がイキイキとしているか、それとも死んでいるかを判別すればよいでしょうか。正解はないかもしれませんが、私が思う《イキイキとした演奏》というのは、なによりも自分自身が演奏をきいてさらにイキイキとしてゆくか、あるいは演奏をやめたくなってしまうかということで判別できると思っています。みなさんは、いかがでしょうか。