えっ、その演奏で思いが伝わると思ってるんですか?

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 これだけはおぼえていてほしい

演奏は説明じゃない、表現だ。

 残念ですが、音楽の発信者が「伝えたい」「わかってほしい」と思っても、受け手には伝わらないし、わかりもしません。絶対に。

 演奏するあなたが、音楽をつかって何かを伝えたいと思っても、何も伝わりません。あなたにできることは、音を発することだけです。音に思いを託して、その音を発することに全身全霊を傾けることが、あなたにできる音楽のすべてです。

 あなたは、まだ、演奏するときに「伝えたい」と思っていますか?


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 こんなことを、私の恩師はレッスンで言いました。

心というものは、絶対にわかりあえないんです。

 ぼくはブッタマゲました。きっと分かり合えるんじゃないんですか?って。

 さておき。

 じつは、音楽の演奏を通して何かが伝わったと感じるのは、かなり高度なコミュニケーションともいえますし、単純なコミュニケーションともいえます。

 音を発した人は、自分がやったことで世界がどう反応したかを読み取ることができます。どう読み取るか。それは、見たり、聞いたりすることで。音を発しても、何も反応を見つけられないとしても、音を発し続けていいし、やめてもイイ。その次の瞬間に何をするかは、音を発する人の自由です。

 音を受け取る人はどうでしょうか。自分の聞いたり見たりしている世界にむかって、泣いたり笑ったりしているだけです。

 もしかしたら、このふたりが同じ場所にいて同じ時間を過ごしていたら、ひとりが発した音をふたりで受け取って泣いたり笑ったりして、何かが通じたような気持ちになるかもしれません。かりに同じ音を受け取っていたとしても、ひとりは泣き、もうひとりは無反応かもしれない。

 では、ありえないように思うかもしれませんが、このふたりが、違う場所、違う時間に過ごしていたとして、ひとりが発した音をふたりが受け取ることは、どうでしょうか。まったくありえないのでしょうか?たとえば、これから生まれてくる子の住む世界を思い描いている親にはどんな音楽が流れているのでしょうか。もう死んでしまった親を偲ぶ子にはどんな音楽が流れているのでしょうか。

 「音楽は、時間と空間を共有する芸術だ」たしかに、音楽の一面を言い得ている言葉だと思います。だからこそ、あえていっておきたい。音楽は、時間も空間も超越しうるものである、と。でなければ、楽聖の魂が、これほどまでにぼくの心を揺すぶることの説明がつかない。

 自分の心なんか、わかってもらえなくたっていいんです。それでも、この心をなんとかしたい。

「この自分にみえている世界で、いま、何かをする」

これが表現だとおもうのです。

 演奏は説明ではありません。表現です。

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