本番で「ミスった!」ときに僕がやってみて助かったこと(3) あなたが注目される理由とは?
2014/01/30
つまり聴衆へのアプローチとして私が考える最高の姿勢は、聴衆を協力者と考えることと、音楽を分かち合おうとする精神なのである。
メニューイン著『ヴァイオリンを愛する友へ』(75ページ)
みなさんは、数千人の前でステージに立ったことはありますか?
大学の入学式のような千名を超えるような大きな会場のステージ……その中央にひとり歩いて行って、自分のやるべきことをする……そんな役目をあなたがしなければならないとしたら、どうでしょう?
千人のさらしものになった中2のボク
「どうしてボクがこんな目にあうんだろう!」
ボクが中学2年生だった頃の話です。
中学生の千数百人ほどの集まりで、ボクがカメラマンとして登壇者を撮影することになりました。「記録」という腕章をつけて、舞台袖で出番を待つ足はガクガク。カメラを持つ手は汗でべったり。最初の登壇者が話し始めたのを見計らって、カメラを持ったボクはこそこそと出てゆきました。会場は体育館。スタンドやアリーナを埋めつくす中学生たちが壇上を見つめていたことでしょう。壇上にはなんだか偉そうな人々が居並んで椅子に腰掛けています。「ああ、なんでボクはこんなことをしているんだろう?」
どうにかシャッターを切ったものの、ボクはその場でおろおろして立ち去ることもできずにいました。
ボクを救ったひとこと「堂々とやりなさい!」
いちろーたくん、何をやっているんだい。
堂々と歩いてきて、
撮りたい写真をとるために堂々とカメラを構えて、
そして、堂々と去っていけばいいんだよ。そうすれば、誰もきみのことを気になんかしない。
壇上のおじさん(本当はお兄さんでした)が声をかけてくれたのでした。
ハッとしたボクは、もう一度登壇者の斜め前に立ち、しゃがんだり、位置を変えながら数回シャッターを切りました。その後も登壇者がかわるたびに、壇上中央へとあるいてゆき、写真を取っては、舞台袖へと引きあげてきたのでした。
あとで仲間が言っていました「下で撮っていた本職の記者さんよりも落ち着きがあるように見えたぞ」
いま思えば、あの会場に集まってきた中学生は、ボクのことを見に来たわけではありません。なのに、ボクは自分自身が見られていると思い込んでいました。結果として、ボクが何をしてその期待に応えられるのかという見つかるわけのない答えを探そうとして、混乱してしまったのでしょう。
「ボクの役目はカメラマンだ!」
なぜ、ボクが自分を取り戻して堂々と撮影ができたのか。それは、登壇者の姿をカメラで撮ることがボクの役目だということを思い出したからです。
オロオロしていた時のボクは、何を思っていたでしょうか?大きな会場を埋めつくす人々から注がれている視線を自分の一挙手一投足に注がれていると思い込んで、自分のやることを見失っていました。どうやって自分のやることを取り戻せばいいかさえもわからずに、立ち尽くしてしまっていたのです。
そんな状況から抜け出せたのは「何をやっているの?」「やりたいことはこれだよね?」という声掛けがあったからでした。
バイオリンの演奏でも同じことが言えるはずです。
バイオリニストの役目とは?
どんな大観衆でも、どんな批判的な評論家がいたとしても、その人が何を見て何を聞くか、その見聞きしたことをどう言うかは彼ら自身の問題です。演奏者にできることは限られています。
カメラマンだった中2のボクは、撮った写真をアルバムにして届ける相手こそが本当のお客様であるということを思い出したから、登壇者にカメラを向けることができるようになりました。
数千の人びとと演奏をともにしたときも、誰に届けたくて、誰と一緒に演奏しているのかを思い出すことで、演奏する役目に思いをつなぎとめることができたのです。
メニューインはこう言っている
演奏家の役目は、作品から読み取ったもの、スコアの理想のイメージを音に翻訳することだ。なにもかもが滑らかに働く時には、次々となにかが生まれ、それが演奏を促すという素晴らしい連鎖になる。
メニューイン著『ヴァイオリンを愛する友へ』(147ページ)
演奏者が本来の役目を思い出した時に、聴衆と演奏者との交流は始まります。お客様は、あなたが演奏という冒険をしている姿に心動かされ、ともに戦ってくれるのだと私は思います。
第4回となる次回は「ミスをした!?さてどうしようか」について書いてみます。