マンネリから目を覚ます劇薬をお届けします
誰が言ったか
「生きてるだけでまるもうけ」といった人がいました。
これって、本当にそのとおりだなって。
さりげない一瞬に、どれだけの価値がかくれているか、
ふだんのわたしたちはなかなか気づかないものですよね。
そして、さりげない日常とは、
死を知らずにいるか
死に怯えるか
死の恐怖から目を背けるか
死から生きる意味をとらえ直すか
どのようにでも過ごせるものです。
みなさんにとっての、音楽における「死」あるいは「死の恐怖」とは、どんなことでしょうか?
そして、どう付き合うことができるでしょうか?
◇
「命がけ」という言葉があります。
みなさんは、どんな場面を連想しますか?
断崖絶壁の「ファイト一発!」でしょうか?
火曜サスペンス劇場の真犯人の告白シーンでしょうか?
お父さんが仕事に出かけてるのを見送るときでしょうか?
じつは「命がけ」というのは、
わたしたちが、どんな場面におかれているかは、
まったく関係がありません。
なぜなら、わたしたちは、
いつ、どんなときに死ぬか・死なないか、
事前には知り得ないからです。
たとえ余命宣告を受けていたとしてもです。
死刑の執行日の決まった死刑囚でさえ、
本当にいつ死ぬかは、だれにもわからないのです。
失敗するかもしれないし、
執行の前に別の理由で亡くなるかもしれないし、
死刑執行された夢を見ているだけかもしれない……のです。
こうして考えてみると、
「私は平凡な暮らしをしているんです」
と言ってみたところで、
なにげなくすごしている日常が、
じつは命がけの行為だったということに気付かされます。
であるならば、
音楽の演奏をするからといって、
いったい、なにを恐れる必要があるでしょうか?
この先の一生、危ない目にあわずにすむ方法を知っていますか?
いますぐ死ぬことです。
でも、死ぬこと以上に危ないこと――命がキケンにさらされること――ってあるでしょうか?
せめて音楽をする一瞬一瞬くらいは、
あらゆる困難が競い起こっても、
「わたしはやると決めたんだ!決めたところまでやりきってみせる!」と、
自分を励まし続けています。
そして、みなさんも、ご自身を励ましていっていただきたいと思います。
たとえ、みなさんが、自分で自分のことをあきらめそうになったとしても、ぼくはあきらめずに応援しつづけます。