「カラダがかたいんですよ……」かたいのには理由があります……【ヴァイオリニストのための動きの解剖学】かたい身体は思考がつくる

 ヴァイオリンの演奏を楽しんでいますか?

 ヴァイオリニストのための動きの解剖学へようこそ!

 解剖学というのは、体の仕組みを説明するための約束ごとの集まりです。この約束事を、めんどくさいなりに、ていねいに読み解いていくと、【ヴァイオリン演奏のコツ】のタネ明かしができるんです。

 さて、今回はヴァイオリニストの愚痴ワースト1位を常に争っている「カラダがかたい」について考えてみます。

「かたい」って、どんなこと?

 ちょっと思い出してみて欲しいんですが……、ヴァイオリンの演奏をしていて「カラダがかたいなぁ」と思う時って、どんなときでしょうか。ヴァイオリンを見るとき?持ち上げるとき?演奏し始めるとき?演奏しているとき?演奏を終えるとき?演奏をしたあとに片付けているとき?

「かたい」を見つけよう

 どんなときの、どんな動作のときに、どんな感覚(痛み・しびれ・熱い・冷たい)を感じて「体がかたい」と言っているのでしょうか。思い出して、みつけてみましょう。

 もしも見つからないなら、それでもオッケーです。感覚ではないものを「かたい」と表現したかったのかもしれません。

 たとえば、演奏をはじめるまでは何も気にせずにいたのに、ヴァイオリンを持ったとたんに、指先が動かしにくいことにきづいたのかもしれません。たとえば、演奏をしている間は、演奏に気を取られていて、首を動かさないように固めていたことに気づかずにいて、演奏を終えて楽器から解放されたとたんに、首が「かたい」ときづいたのかもしれません。

 このように、あなた自身の演奏習慣を、注意深く観察してみましょう。思いがけないところに「痛み」や「かたさ」の正体がまぎれこんでいるのを、見つけることができるはずです。

 痛みやかたさの原因らしきものが、演奏習慣のなかに見つからなくても大丈夫ですし、たくさん見つかっても大丈夫です。

 原因らしきものが見つからないなら、原因は演奏以外のことにあるのかもしれません。たとえば、楽器演奏以外の日常生活の習慣や、そうしたなかでのケガによるものが原因という場合もあります。そもそも、何も問題がないのに、ただの社交辞令として「体がかたくて、しんどいですわ」なんていう挨拶をしているだけかもしれません。だから、特に原因らしきことが思い当たらなくても大丈夫です。

 痛みやかたさの原因らしきことがたくさん見つかってしまったら?……おめでとうございます。気持よさを取り戻す旅の始まりです。あとは、どんどんラクに、気持ちよくなるだけです。ひとつずつ悩みが解決する過程そのものを楽しんでいきましょう。

 ちょっと楽観主義が過ぎますか?「もっと悪くなったらどうしよう」と心配になりますか?「もうよくならない」と絶望していますか?

悲観主義から楽観主義に転換してみたいですか?

 ここで、ちょっと謎かけをします。私・いちろーたが楽観主義でいこうとおもっている理由を書いておきます。悲観主義のままでいいという方はここまでで結構です。これまでお付き合い下さりありがとうございました。楽観主義を使いこなして、たくましく生きていきたいという方は、もうちょっとだけお付き合い下さいね。

悲観主義と楽観主義の違いはなんだろう?

 よくなる・わるくなる……ということの違いはどこからくるのでしょうか?先日、あるひとのお父さんがなくなりました。家族はみな悲しみました。「なんで死んでしまったんだろう」「生きているうちに、もっと親孝行しておけばよかった」これが悲観主義ですね。私の父がなくなったときにも、こうしたネガティブな感情は湧いてきました。でも、その人は違いました。たくましく、明るく生きています。何がどうちがったんでしょうか。

 楽観主義の人は、父の死という、悲しいできごとをどう受け止めて、どう乗り越えていったのでしょうか。

 「生きているうちはうるさいと思うばかりだったけど、いまは、一緒にでかけたことや、おはなししてくれてこと、口癖や食べ物の好き嫌い、いろんなことが楽しく思い出せるようになった」「これからは、父との思い出をたくさんの人と語って共有する喜びができたよ。うれしいんだよ」

 おわかりいただけるでしょうか。悲観主義はせっかくの未来を過去に向かって投げ捨ててしまう生きかたです。楽観主義は過去のすべての経験を、いまこれからの瞬間瞬間を、どうやったら楽しめるか、自分だけでなく他の人までも報われるような行動に転換できるか……という挑戦・冒険の生きかたです。

 すっかり脱線してしまいました。

「カラダがかたい」の真実はどこに?

 考えてみて欲しいことがあります。「カラダがかたい」という一言から、もう一歩ふみこんでみて欲しいのです。それは、「カラダがかたい」……それがどうした?かたいのがどうしましたか?ということなんです。

 「カラダがかたいと感じる。だけど、動かしたい」なのか、「カラダがかたいと言われた。どういうことをかたいと言われたのか意味が分からないから知りたい」なのか、「カラダがかたいと感じる。もっとかたくしたい」なのか。

 何をどう感じてもいいんです。それを感じたあなたは、いったいそれを受けて何をしたいのか。それが大事なんです。「何をしたいか」をはっきりさせてから「カラダがかたい」と向き合うのもひとつの解決のための突破方法です。

「カラダがかたい」の錯覚もある

 「カラダがかたい」には、錯覚もあります。

 たとえば、曲がるはずのないものを曲げようとするとどう感じますか?たとえば、バイオリンの弓は曲げようとすると、ある程度の力でまがりますね。では、鉛筆やボールペンの軸を曲げてみようとするとどうでしょうか?バイオリンの弓よりもかたいと感じませんでしたか?

曲がらないほうへ曲げてみる

 ひとつ実験をしてみましょう。

 ひじを曲げてみます。曲がりましたか?曲がりますね。では、ひじを《曲がらないほう》へ曲げてみてください。曲がらないですね。これは、かたいといえます。動かないものを動かそうとすると、かたいと感じるのです。かたいの度を越すと痛いに変わります。カラダの破壊を警告するためです。

無いはずの関節《リスボー》を曲げてみる

 もうひとつ、風変わりな実験をしてみましょう。

 手首がありますね。ひじがありますね。手首も曲がりますし、ひじも曲げられますね。では、その中間地点に、新しく関節を思い浮かべてください。本当は無いはずの関節を思い浮かべます。どう動くかわからない関節です。かりに、そのデタラメ関節を《リスボー》と呼びましょう。手首とひじの中間地点《リスボー》が、手首や肘のようにまがるはずだと本気で思ってみて、そして、曲げようとしてみてください。どんな感じがしましたか?

 これが、無いはずの関節を「ある」と思ってしまう時に起こることなんです。ものすごく気持ち悪くなりませんでしたか?私の場合は、関節の周りが、イライラ・モヤモヤでいっぱいになりました。

 では、もともと《リスボー》なんていう関節はデタラメで、存在しないのですから、次のように思ってやってみます……「手首や指・ひじが動ける」と思って動いてみましょう。どう感じますか?ものすごく軽やかに、素早く、やりたい動きができますね。これが、カラダの現実をあるがままに認識して動かすということの効果です。

 ヴァイオリニストが解剖学を学ぶメリットは、ここにあります。「本当は動けないような動かし方」をすると、動きのスピードも正確性も鈍くなります。「本来の機能をいかす動かし方」をすると、スピードも早くなるしエネルギーを節約できます。動きの効率が良くなるので、血の巡りが良くなって、思考を音楽の創造的なところに使うことができるようになっていきます。

 ……より創造的な音楽活動をするひとが一人でも多く増えていくために、こんな記事をかいております。おつきあいいただきありがとうございます。


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