【プレモル講座に行って学んだこと】気まずさのもとは「親切の押し売り」なのかもしれない

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いちろーたです。

先日、近所にあるビール工場の「プレモル講座」に参加してきました。
美味しいビールを飲んできましたよ!

って、本題はそっちじゃなくて。
『親切の押し売り』が楽しむ心をつぶすということを考えさせられたという話。

ほんとに、大したことない話なんですけどね……
プレモル講座のなかでビール工場の見学をしたんです。
その見学中に、いちろーたが自撮り写真をとろうと思ったんですよ。

でもね、撮りたいポーズだと
手が塞がってしまうからiPhoneが持てない!

「困ったなぁ〜」と思って、ポーズをあれこれ変えていたら
いっしょに見学コースを回っていた方が

「とってあげましょうか?」
って、声をかけてくれたんです。

いちろーたは思わず
「あっ、いいんですか?ぜひお願いします!」
とお願いしちゃいましたよ。

けっこうアホヅラしてましたけどね。

で、とってもらったのがこの写真

……アホでしょ?

この出来事が、なぜか頭から離れなかったんです。

「とってあげましょうか?」

と言ってくれた人は「撮る気まんまん」でもなければ
「いちろーたの役に立ってあげたくてしかたない」というのでもなく

「ただ、この『プレモル講座』を楽しもう」と思ってウロウロしていただけ。

写真をとってくれた本人は、こんなことまでは計算していなかったはずです。
だけど、いちろーたをこんなに喜ばせてしまっているんですよね。
そして、メルマガで名前こそ出されていませんが、紹介されちゃったわけで。

「とってあげましょうか?」

という、そのヒトコトは、いちろーたに大きな波紋を呼んでしまいました。

……親切の押し売り

こんな言葉が頭のなかをぐるぐると回り始めました。

レッスンでも、アンサンブルのリハーサルでも
《よかれと思って》教えすぎちゃう人、問い詰めちゃう人に遭遇したことはありませんか?

そういう人たちって、だいたい憎めないいい人で、責任感ある素敵な人なんですよね。
でもなんでか、ちょっと面倒くさい感じの雰囲気をまとっていたりとか。

いちろーた自身がそういう「教えすぎる」「ひとこと余計に問い詰める」っていうことをしちゃう傾向があるんですよね。

その時僕は何を気にしてるかっていうと自分のことなんですね。
目の前の人の心配するフリして、実は自分の心配をどうにかしようとしてる。

「あの人は知らないのだから、知ってる僕が全部教えてあげなくては……」

という気持ち。

「教えてあげなくては……」の続きに隠されたホントの気持ちと向き合うことが大事。

●教えてあげないと、ボクの気が済まない
●教えてあげなきゃ、学んだ意味が無い
●教えてあげなきゃ、あの人のためにならない

どれも自分勝手ですよね。

教える場面とか『何かをしてあげたくなっちゃう場面』って誰にでもあると思うんです。

でも、本当に助けが必要かどうかは見極める必要があります。
目の前の人が何かにチャレンジしている可能性だってあるのですから。

「いま、これ必要かな?」
「いま、他に必要なことはないかな?」

って、教える手・救いの手を差し伸べる前に、まず自分自身に対して問いかけておきたいのです。

これを問う習慣をつけると、親切の押し売りを減らせるのではないでしょうか。

なぜか、そんなことが頭から離れないので書いてみました。

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