「演奏することは、選ぶこと」〜自由な演奏とは?(映画に出てみて気づいたこと)

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 映画に出てみて、気がついたこと。それが「演奏することは、選ぶこと」ということです。

「自分ではない誰か」を演じるということ

 映画に出たといっても、オーケストラ楽団員として、台本には名前もセリフも出てこないエキストラとして、です。

 名前もセリフもないエキストラとして、カメラの前で私に求められたのは「いちろーたの演奏」ではなく、劇中の楽団員としての演奏であり、練習態度でした。


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自分ではない誰かが、この場にいたら、どう振る舞うだろうか?どんな態度で演奏に臨むだろうか?

「人生を選ぶ」ということ

 その人、その楽団員が、生まれてからいろいろあって、この場面に出くわすことになったのだとしたら……その人は、どんな価値観を持っているんだろう、どんな演奏技術を持っているだろう……。出番を待つ時間、控室でそんなことを思いながら、映画の原作を読んでいました。

 私の人生は、私の選択が作ってきました。これからも同じことです。

 なぜその選択をするのか。何を目指して、その選択をよしとするのか。問いながら進んでいこうと思ったのでした。

選びやすくする=脅迫をやめる

「選ぶ」ことを自覚する

 自分は選んでいるのだ。すべての瞬間の、すべての行動について、「私はこれを、このようにすることを選んだのだ」といえるようにしていこう……と思ってみたはいいものの、はたしてそんなことができるのだろうか?

 こんな疑問がわきました。

 でも、やる前から心配したところで、自分の足を引っ張ることはあっても、背中を押してくれることはないんですよね。

選びやすくする

 すこしでも「自分で選ぶ」をやりやすくするために何ができるかを考えていけばよいのではないでしょうか。

 たとえば、選択肢をふやすためにできることはなにか考えてみましょう。……「まだ見つけられないでいる選択肢や答えが、どこかにあるはずだ」と自分に言い聞かせ、答えをみつけるように仕向けていくことだってできるはずです。

自己脅迫を抜けだそう

 自分への選択肢の提示が、脅迫になっていないか、点検をしてみましょう。「これをしないと、生活できない」「これをしないと、上達しない」……自分に向けてこういう言い方をしているのだとしたら、要注意です。選択肢を1つでもおおく提示しましょう

 「生活するために、こういう方法もある」「上達するには、こういう方法も試せる」などなど。

「演奏することは、選ぶこと」〜自由な演奏とは?

 演奏も同じようなことがいえます。「この楽譜に書いてあることを演奏するために、このやり方しかない」というAさんと、「この楽譜に書いてあることを演奏するには、このやり方が使えるのはわかった。ほかにもやり方があるかもしれない。今日は何を試そうか」というBさん。

 別の言い方をしてみましょう。

 Aさんはフォルテを表現するために、ひとつの方法しか知らず、ほかにやり方を見つけようとしない人です。Bさんはフォルテを表現するために、ひとつの方法がうまくいくと知っても、さらに別の方法を見つけようとする人です。

 みなさんは、どちらの人だったでしょうか。どちらの人になりたいですか?

 どちらの人のほうが、自由だとおもいますか?

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