最後にラブレターを書いたのはいつですか? 聴衆との豊かなコミュニケーションのために
2017/09/16
いちろーたです。
ボクが高校生の頃の話です。
文通の思い出
旅行先で知り合った同い年の女の子と文通をしていたことがあります。
まだメールもSNSもなかった時代です(^o^;)
はじめは文通する気なんてありませんでしたが……(文通にまで発展するとは思っていなかったけど、仲良くなりたいとは思ってました)旅先で撮った写真を送るからと、どうにか住所を教えてもらい、手紙を添えて送りました。
そうしたら、返事が来て、お返事を書いて、と繰り返しているうちに
いつの間にか文通になっていました。
ガリ勉だったボクですが、
手紙を出したあとは、いつ返事が来るかと
自分の家のポストを開けては「まだ来ない……」「はやく来ないかな」と
毎日まいにちソワソワしていたことを思い出します。
文通そのものは、お互いが大学に進学した頃に途絶えてしまいました(^_^;)
コミュニケーションの楽しみとは?
さて、本題。
ボクの思うコミュニケーションとは……
メッセージを発し、受け取ること。
そして、それを準備も後片付けも含めて、丸ごと全部味わうことです。
「丸ごと全部味わう」というのが大事です。
ちょっと想像してみてください。
大好きな人にラブレターを書くときのこと。
ペンで便箋に文字を書いている瞬間だけが《楽しいひととき》ではないですよね?
むしろ、手紙を書いている以外の時間のほうがワクワク・ドキドキしませんか?
「どういうラブレターを届けようか」
「どう渡したら受け取ってもらえるだろうか」
「読んでみたいラブレターって、どんなものだろうか」
そういうことを考えることって、
便箋に文字を書き連ねていく以上に楽しいとおもいませんか?
もう少し具体的なことに落とし込んでみましょうか……
「自分の気持ちを、どんな言葉で表現しようか」
「どうやって渡そうか」
「何月何日の何時ころがいいか、どんな場所がいいか」
「なんと言って渡したら読みたくなるかな?」
「手渡しじゃなく郵送にしようか」
「便箋はどんなものにしようか」
「ペンは何を使おうか、インクの色は……」
大好きな人に手紙を書いて届けるというとき、
すくなくとも、これくらいは思い悩むポイントがあります。
その悩みというのは、苦しく感じることもありますが
大好きな人への思いを届けるためだということを忘れずにいると、
悩みの味わい方が、単に苦しい・ツラいということではなくなってきます。
いまは、手紙の他にもいろんな伝え方がありますから
悩み方はもっと多彩かもしれないですね。
「どういうラブレターを届けようか」
「どう渡したら受け取ってもらえるだろうか」
「読んでみたいラブレターって、どんなものだろうか」
そういうことを考えるのは、やっぱり楽しいとおもいませんか?
「ラブレターを書く」ということが、どこからどこまでのことなのか……
その人のことを思って過ごすすべての時間が、ラブレターを書く楽しみの時間なのかもしれませんね。
最後にもう一つ。
「ラブレター」を「わたしの演奏」に置き換えてみるとどうでしょうか?
あるいは「わたしの思いを託した音楽的メッセージ」と置き換えてみると
どんな発見があるでしょうか?
あなたにとって、
音楽的コミュニケーションの楽しみとは、何でしょうか?
その音楽を届けるために、なにをしていますか?