いちろーたです。
今日はレオポルド・アウアーが、自身の著書『ヴァイオリン奏法』のなかで説いている「ヴァイオリンの持ちかた」の重要性について考えてみましょう。
レオポルド・アウアー(英語ではLeopold Auer)は1845年、ハンガリー出身のバイオリニストです。
ハイフェッツのお師匠さんとして記憶されている方も多いかと思います。
アウアーはハイフェッツのほか、ジンバリスト、エルマン、ミルシテインなど、バイオリン史に残る名演奏家を育て上げた教育家として知られています。演奏家としても活躍されていました。チャイコフスキーからバイオリン協奏曲を献呈されたものの演奏を断ったという逸話を記憶されている読者さんもいらっしゃるかもしれません。
作品数は少ないですが、作曲もしました。ベートーヴェンやブラームス、モーツァルトのバイオリン協奏曲のカデンツァによってアウアーの名に親しみを感じると言う方もきっといらっしゃることでしょうね。
さて、アウアーは『ヴァイオリン奏法』のなかでこう言っています。
正しく楽器を持つことは、これから後のすべての上達の前提条件なので、ヴァイオリン教育のこの段階こそ何よりもまず考察の対象としなければならない
これは、初めてバイオリンを学ぶ人にとって持ち方が大事だという話ではありますが、もっと広い意味でとらえることができます。
正しく持つことが上達には不可欠だということなのですから、練習するときでも演奏するときでも、教える場合でも教わる場合でも、正しく持つということについて考えて行きなさいということだと私は読み解きました。
あなたはどんな意味で読みましたか?
アウアーは次のようにも言っています。
すべてのヴァイオリン演奏のスタート――例えば、弓をひく以前の楽器の持ち方というような一見簡単なこと――には、よい方向と悪い方向との間におびただしい可能性がある。
このアウアーの言葉は深い示唆に富んでいると感じます。
「すべて」……いったいどんなものを考察の対象とすべきか。
「一見簡単なこと」……見過ごしてしまっている重要なことはどんなことがあるか。
「よい方向と悪い方向」……目指すべきよい方向とはどんなものか。よい方向に向かうために何が必要なのか。
たとえば、「すべて」……演奏における「スタート」の「すべて」について言っていると、いちろーたは読みました。
演奏を始める際の一見簡単で見過ごしてしまっているようなことも含んでいると考えることができます。
「一見簡単なこと」……「弓をひく以前の楽器の持ち方」の、さらにそれ以前の一見簡単なこと……「楽器を持つために手を伸ばす」とか……さらにそれ以前の「楽器に手を伸ばすために目を楽器に向ける」とか……。さらに考察の対象を転じて、弓をひく以降の楽器の持ち方の一見簡単なことを考察してもよいのです。音をとるために左手指で弦をとらえようとする動きとか、弓のアップダウンの切り返しのこととか……。
このように、持ちかたについて考察すべき対象は、数え上げたらきりがないほどにおびただしいものといえるのです。
でも、絶望する必要はありません。
どんなコトをきっかけとしてもいいのです。
どんな手がかりに取り組むときでも、原点となる最も根本的な「考察すべき対象」さえつかめていれば、迷子にはなりません。
音楽とは心の表現です。
心の動きが音となって楽器から立ち上がる
きく人のなかに心の動きとして像を結ぶまで
そのプロセスのあいだ、奏者としてのあなたご自身ができることは何かを
いまから考えていきましょう。