「バイオリンやってみませんか?楽しいですよ」……憧れを叶えるために

この記事は約4分で読めます。

いちろーたです。

「バイオリンがひけたらイイな」という憧れって、ボクも持っていました。
小学生のころ、転校生がやってきて、音楽の時間にどうしてかしらないけど、突然バイオリンをひいてくれました。

その子がひいてくれたのはビバルディの協奏曲イ短調。
カッコいいなーとおもって、家にレコードがないか調べたですよ。

家にレコードがあったかどうかは思い出せないけど、「あんなふうにひいて、友達が作れるようになったらイイな」と《憧れの種》がボクのなかにうえられたのは、この時だったのかもしれません。

そんな小学校での出来事も忘れてしまった頃。
高校生になった年のあるとき「バイオリンをやらないか」と、ある人から勧誘を受けました。

その人は、小学校時代に地域の合唱団のひとつ上の先輩です。
高校生になって、あるオーケストラに入ってビオラを始めたのだそうです。
そのオーケストラに入れという勧誘でした。

自分のような未経験のものでもできるのか不安に思っていると
「いい先生が教えてくれるぞ」
と先輩は言うのでした。

そのときに、小学校での思い出が蘇ってきました。
音楽室でバイオリンをひいてくれた転校生の姿。
そして「あの曲をひいてみたい」という思い。

「やってみないか!」
との呼びかけに
「はい、やります!」
と返事をしてしまったのでした。

いま思い出しても不思議なのです。
どうして先輩の呼びかけに応じてしまったのか。

小・中学生時代には、吹奏楽に入ろうかと思いつつも結局やらなかった僕です。
小学校では地域の野球チームにこそ入りましたが、中学では部活も入らずにいました。

いや、何も不思議ではないかもしれませんね。

先輩のアツい思いがあったからこそ、ボクのなかに眠っていた憧れが、たったヒトコトの呼びかけで目を覚ましたのではないか……いまはそう思います。

ツラいこともあったけれど、バイオリンに結びつけてくれた先輩の御恩には感謝するばかりです。
ありがとうございます。

ところで、バイオリンをやると決めた僕は、その日の夜、親に頼み込みました。
「バイオリンを買ってください。オーケストラに入りたいです。いい先生が教えてくれます」

これを言うのには、めちゃくちゃ勇気が要りました。
人によっては、こんな頼みごとに勇気は要らないと言うでしょう。

そうなんです。
勇気の必要なポイントって、人によってぜんぜん違うんです。
ここが面白いところです。

セミナーやグループレッスンに参加してみると、このことがよくわかります。
ある課題ではスラスラと答えられる人がいるのに、別の人はどんなに悩んでも答えが思い浮かばない。別の課題では、お互いの立場が入れ替わったかのようになってしまうのです。

僕自身がグループレッスンの場で、同じことを体験しました。ボクにはすぐわかるのに、あの人には何が見えていないのだろうか。あの人には何かが見えているのに、ボクには何が見えていないのだろうか……そうやって自分とはちがう理解のしかたがあることを知り、そういう人とともにいるからこそ学びが豊かになるということを経験してきました。

いちろーたがブログで書いているのは、こうやっていちろーたがぶつかって乗り越えてきた悩みについてです。同じような悩みがある人の励みになればという思いを持って書いています。

そして、もっと読みたいという人のためにメール講座を書くようになり、直接レッスンをしてほしいという人のためにレッスンをするようになりました。

いつのまにか、「先生を教える先生になりたい」と言っていた生意気な僕が、本当に教えるプロになってしまったのでした。

自分で「教えるプロになってしまった」と書くのには勇気がいります。でも、人がそう言ってくれているのだから、それを信じることにします。

読んだだけで元気になる
読んだだけで演奏が変わった

そういう声をいただけるようになりたいと願ってきましたが、書き始めて1年たたないうちにそういうお声をいただけるようになってしまったのは、自分でも驚くばかりです。
だから、自分のことを「ボクは、もう教えるプロなのだ」とずっと言い聞かせています。

そうは見えないと言われますが、いまだに落ち込むことはあります。
励まそうとおもっていたこちらのほうが励まされています。
学びたいと言う人に囲まれていることは嬉しい限りです。

バイオリンが病みつきになったらごめんなさいね。
でも、自分が楽しいだけじゃなくて、周りの人を幸せにできるのが音楽のすばらしさです。
いっしょに演奏できたらどんなにすてきなことでしょうか。

ここまで読んでくださったあなたに感謝を込めて
いっしょに演奏できることを願いつつ

タイトルとURLをコピーしました