バイオリン応援団☆いちろーたです。
あなたが演奏するとき、
その演奏を聞いているのは誰でしょうか?
その人は、どこに居るでしょうか?
その人は、いま何をしているでしょうか?
その人は、どうやってそれをやろうとしているでしょうか?
その人とは、誰でしょうか?
あなたが《いつも》一緒にいる人。
そう、あなた自身のことです。
あなたは、
演奏中に、あなた自身にどれだけ注意を向けているでしょうか。
どんな注意を与えているでしょうか?
「今日の聴衆はマナーがイイな」
「指揮者がまたあおりはじめた」
「この音符の音程はいつも間違える」
「伴奏とずれた」
「肩当てがやっぱり合わない」
「なんか、調子悪いな」
……これらは、《あなた自身への注意を向けて》いることにはなりません。
出来事に対して《自分が起こした反応》に注意を奪われているのであり、
いまから自分自身が何をするかということが忘れられているからです。
自分自身が、いまから何をするのかを忘れてしまうと、
行動の質は低下します。
では、音楽が溢れだし、流れ続けるようにする
《自分自身への注意を向ける》とは、
どんなことをするのでしょうか?
”いまわたしは「今日の聴衆はマナーが悪いな」と思った。さあ、わたしはその人にも演奏を送り続けよう。どんな反応が返ってくるか見ていよう”
”いま「指揮者がまたあおりはじめた」と思った。さあ、あおっている指揮者とともに演奏を続けよう”
”いま「この音符の音程はいつも間違える」と思った。さあ、そこには何が書いてあるのが見える?どんな演奏に変わるかみてみよう”
”いま「伴奏とずれた」と気づいたぞ。さあ、演奏を続けるために何が聞こえているか観察をしよう”
”いま「肩当てがやっぱり合わない」と感じたぞ。さあ、演奏自体の出来はいいんだから続けちゃおう”
”いま「なんか、調子悪いな」と感じたぞ。さあ、練習を終えて寝よう”
お分かりになるでしょうか?
《自分自身への注意》を向けるとは、
自分自身が見つけたことや、感じたことを使って、
「いまから自分が何をするか」という
《自分への意識的・建設的な指示=Direction》
を与えゆくことなのです。
自分自身が、いまから何をするか、いま何を感じたのか、さっきまで何をしていたのか
こうしたことを、全部丸ごとひっくるめて面倒を見てやることが
《自分への意識的・建設的な指示》を与えるということです。
わたしは、そのように思って演奏に取り組んでいます。
感じることは自然なことです。
生きている証です。
生きている限り、
「感じよう」としなくても
感じることができるのが、わたしたちのココロとカラダの仕組みです。
ここで大事なのは……
感じただけでは、
創造性豊かな活動を起こすことはできない
……ということです。
感じただけでは、
自分自身の行動をそこで中断して、
強制終了させるようなものです。
音楽も、そこでストップしてしまいます。
演奏を、創造性に満ちたものにするには、
「いまから、自分は何をする?」を持ち続けることが欠かせません。
では、何をすればよいのでしょうか?
聞こうとする必要はありません。
聞こえたものを受け入れるだけでいいんです!
演奏中は、わざわざ聞く必要はない。
聞こえていればそれでいい。
聞こえたものを、いちいち評論しようとするから演奏がお粗末になるんです。
評論したくなってしまう自分を黙らせるには、何をすればいいのか。
あなたは、これを学んで自在に使いこなせるようにする必要があります。
次回は「あなたの創造性を引き出すカギ」についてお話しましょう。