「すべてのピアニストに、ひとつだけ共通すること」そして、違いを生む違い

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すべてのピアニストに、ひとつだけ共通することがあります。

みな、不安だということです。

(ウラディミール・ホロヴィッツ、『ホロヴィッツの夕べ』より)

 はじめに言っておきたい。不安への反応は選択できる、と。

「不安」の何が問題なのか?

 共通するのは、みな不安を感じているということ。

 では、ピアニストの違いを生むのはナンダロウか?

 なにが、ピアニストのパフォーマンスの違いを生むのだろうか。力量や人格の違いを生むのはナンダロウか?

  ピアニストに限ったことではないはず。ヴァイオリニストだって、ヴァイオリニストを志す人だって、趣味でヴァイオリンを奏でる人だって、本業で不安のない人はいないはずだ。

 不安が、誰にでも共通することだとしたら、なにが違いを生むというのか。問題は、そこだ。

「不安」〜ドンと来い、生老病死!

 不安なんか、誰にだってある。生老病死というやつだってそうだろう。

 まず、どうして生まれてきたかわからない。祝福された人もあるだろうし、そうでない人だってあったはずだ。かなしいことだけれど。

 そして、老い。機能低下。生まれてはじめのうちは、成長していろんなことができるようになってゆく楽しみに目を奪われて、自分が死に向かっていることが目にはいらない。いつのまにか、できるようになったことが徐々にできなくなっていく。これ、アラサーの時には自覚薄かったけれど、アラフォーになって徐々にわかってきた。

 病。病気ばかりではない不調・不具合。本当はできるのにできないと思って、現実とはことなる歪んだ認識を持ってしまうのも病といえるかもしれない。これもつらいね。

 死。いつ死ぬかってことも、さっぱりわからない。かりに、余命宣告を受けたとしても、数日の誤差はあるだろう。

 どんなに健康そうであっても、私の父のように、ある日突然旅立ってしまうことだってある。死ぬときはあっけないものです。

自分で納得できなきゃ、進めない

 僕が初めて、生老病死で苦しんだのは、中学生のとき。「どうして生まれてきたんだろうか?死ぬと決まっているのに、なぜ、わざわざ生まれてきたのか。しかも、僕だけじゃなく、あらゆるものが」と、こんなことを思ったのです。

 寝ようとすると、このことが頭をぐるぐると回って。眠れずに、答えが見つからず、あきらめて、次の日の学校に備えて眠る、という夜を過ごした覚えがあります。みなさんは、そういう経験ありませんでしたか?

不安なままでいい。進もう!

 みなが不安であるといっても、なにについての不安を持っているのかはちがうんですよね。

 でも、ちょっと思い出してみて欲しいんです。不安になっても「やれることがなくなる」わけではないはず。ただ、不安を味わうために「やれることをやらないでいる」ということが、ボクの場合はほとんどでした。

 不安への対処法は、ボクの場合は「やれることを思い出して、やる」ということです。やれることを見つけて、行動に移す。それだけです。それが、不安に負けないということなのだと、ボクは思っています。

 そんなわけで、今日もブログを書いたり、バイオリンをひく人の役に立つことを、探し続けています。

 相談したくなったら、いつでもご相談くださいね。

ホロヴィッツの言葉

そして、春風亭小朝さん

驚く人もいるかもしれんが、この言葉を僕に知らせてくれたのは、落語家・春風亭小朝さん……

この人……

……が書いた、この本です。

こちら。

三谷幸喜さんが描くホロヴィッツ

三谷幸喜さんが、ホロヴィッツを「芸術家三部作」のなかで取りあげています。

三谷幸喜さんの「芸術家三部作」とは

20世紀のピアノの巨匠、ウラディミール・ホロヴィッツと、彼の演奏を支え続けたピアノ調律師フランツ・モアとの、ある一夜の会話を中心に展開する物語「ホロヴィッツとの対話」(2013)

ヒトラー内閣がプロパガンダの為に作った宣伝省の初代大臣ヨゼフ・ゲッベルズと映画人たちとの間で繰り広げるドラマを描いた「国民の映画」(2011)

画家であるフィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ジョルジュ・スーラ、エミール・シェフネッケルの交友を描く「コンフィダント・絆」(2007)

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