「やっべー、全然ひけるようにならない!」高校3年生の思い出
楽器をはじめて3年目のお正月、いや2月だったかな?
高校3年生もそろそろ卒業という頃のこと、演奏会のために自宅で練習していました。
「ビゼーの組曲『アルルの女』を1週間後の合奏までにひけるようにしておかなきゃ!」
……ところが、全然ひけるようにならないのです。
組曲の、とある1曲の冒頭が、ぜんぜんひけないのです。
それがだめで、他の曲も手に付かない悪循環。
どうにか、1曲めの冒頭、パート譜の1段、2段目くらいまでひけるようになって合奏に参加しました。
ところが!
後輩たち下級生にまぎれて合奏してみたら、引けたと思ったのもつかの間。
自分が1週間かけてどうにかひけるようになったところは、あっという間に、引き終わってしまいました。どこをひいているのか、楽譜を目で追うだけで精一杯でした。
でも、よく思い出してみると、もしかしたら、楽譜を見るのをあきらめて、わからないなりに、まわりの後輩たちを見て、腕をじたばた動かして、ひいているふりをしていたかもしれません。
まわりの音や動きに合わせて、合ってはいるかいないかはわからないけど、とにかく、何かをやり続ける。
こういうことをしていました。
そして、家に帰って、楽譜をみて、合奏のようすを思い出しながら、演奏を自分のモノにしてゆきました。
ひけないものをひけるようにするには、いろんなやり方があるのだと思います。
いまだったら、曲名を検索するだけで、お手本になるような演奏がいくつも見つかります。
そうしたお手本を聞くのもいいし、映像付きなら弓の使いかたや、フィンガリングを真似することもできます。
そうした演奏と一緒に演奏することからも学ぶことがあるでしょう。
ともあれ、確実に言えるのは、何かをやってみないと、何も変化はうまれないということです。
当時のボクのことを思い出してみると、楽譜を見て、鍵盤ハーモニカで音を取るのが精一杯でした。音源を手に入れて聞くこともしましたが、早すぎてついていけませんでした。
どうにか楽譜を読んで歌うことができるようになっても、その音のために指をどこに置けばいいかは、時間がかかっていました。音をしっていたから、間違いばかり気がついて、先に進めなかったのです。
「正しい音を、タイミングよく指で押さえてゆく」をできるようにするのが練習の唯一の方法だと思っていたのかもしれません。
この後、大学に入り、いろんな楽曲を演奏するようになり、短期間で仕上げるためにいろんな練習のやりかたを教わることになります。
どうして練習するのか、何をできるようにする必要があるのか……
できる人とできない人の違いはどこにあるのか……
この「練習の意味」とでも言うべき、演奏の本質に迫るためのアプローチに気がついて自主的に組み立てていくことが楽しめるようになるまでには、さらに何年も要してしまうことになるのでした。
せっかく練習するなら、楽しみながら音楽の本質に迫れるように、自発的な取り組みができるようにお手伝いしたい!……そう願っています。