「教える」をこわす。あなたにしかできない「教える」の作りかた
2014/03/29
今日もまた、明日もまた。同じお小言の繰り返し。
――なんでこの生徒さんにはわかってもらえないんだろう?
おなじとき、生徒さんはこう思っています。
――なんでこの先生はいつもおなじことしか言ってくれないんだろう?
どうしたらマンネリを打ち破れるのでしょうか?
――奇をてらわなければいけないのだろうか?
――おかしなことを言って、笑いを取れればいいのだろうか?
――いつも効き目のあるアドバイスを出来なければいけないのだろうか?
――先生の言ったことがわからなかったら、どんな態度を取ればいいんだろう?
いろんな思いが、レッスン中にこみ上げてきます。
生徒であるときも、教師であるときも。
ただ、何が起きているのかをみてみる。
それだけで、自然に学びが進んでいくんだよなー、と思うこの頃です。
「教える」ためのやり方に正解はありません。
では、どうやって教えたらいいのでしょうか?
昨日までの教え方が、今日も通じるとは限りません。
わかるまであきらめずに教えることは大切です。
教えるものとしては、つねにあたらしい教えかたを模索して、生徒さんに向かってあたらしいきっかけを与えられるようにしておきたいものです。
つねにあたらしい切り口でレッスンするにはどうしたらよいのでしょうか?
繰り返し練習は百害あって一利なし?
勘違いしてほしくないことがあります。
音階練習が無駄だと言っているわけではありません。
指の体操が無駄だと言っているのでもありません。
同じ曲を何回も練習することが無駄だと言っているのでもありません。
バイオリンで言えば、音階練習をするときに、何のためにその音階を選んだのか、どうしてその速さで練習するのか、どうしてその指遣いを選ぶのか、そのとき指を動かす通り道はどうすることにしたのか、どんな抑揚で演奏するのか、アーティキュレーションやフレージングはどんなプランにしたのか……ひとつの音階を演奏するにしても、こうしたことを意図してはじめるのと、そうでないのとでは結果に違いが出てきます。
ルーチンワークに新鮮さを取り戻そう
意図を空っぽにしておいて、単なるルーチンワークとしてこなすにしても、ルーチンワークをこなすなかで、自分がどのようにルーチンワークを片付けていっているのか、何を見て・聴いて……どんなことに気づいたのかを観察することはできます。
まずは「観察」しましょう。いま自分がどこにいて、何をしていて、どうやろうとしているか。これだけで、じゅうぶんです。
いま、自分が誰といっしょにいて、誰のどんな言葉を聞いていて、それに対してどんな態度をとっているか、何を言いたくなっているか、レッスン中に自分を観察し続けることは、教師にとっても、生徒にとっても、より深い学びをもたらします。