「教える」ということと向き合う(1) 何のために教えるのか

この記事は約2分で読めます。

なぜわかってもらえないんだろう?
どうしたら、もっとわかりやすく教えられるんだろう?

 私が生徒さんに向かって教えるときに、「本当にこれでいいのかな?」「わかってもらえるかな?」と思うことがあります。しょっちゅうあります!思わない日はありません。悩まない日はありません。

 この記事も、書いては消し書いては消し……せっかく途中まで書き進めたものも気に入らなくて、本文だけでなくタイトルもごっそり消し去ったところです。

 こんなに苦しいのに、なぜ教えようとするんでしょうか。

 本当のところは、自分でもわかりません。

 私が行き詰まった時には、いつも先生の励ましがありました。「助けて!」という声にならない、自分でも気づかないくらいの苦しみにもがいているときにも、かならず、励ましがありました。

 その励ましは、誰かを伝わっての伝言だったり、さりげないひとことだったり、いろいろです。言葉だけでなく、手をふってVサインを向けてくれるときもあったり、自分への直接の言葉じゃなくて、ほかの人にむけての言葉や演奏だったりしたこともあります。

 そうやって、30年以上ずっと、ずっと見守って頂いてきたんですね。思い出してみると。

 いつのまにか、ボクも悩んでいる人を励まして、応援できるようになろうと思うようになっていきました。きっと、そういうことだったんだと思います。

 なんとなく憧れていたバイオリンを、教えてもらう縁に恵まれました。自分が教わりながらも、教わったことを同じグループ内で教えあいながら上達してきました。大学に入ってからも、大学を出てからも、基本的には同じです。教わっているようで、教えているようで……共に学びあうことを続けてきました。いまも変わりません。

 教えることに行き詰まりそうになった時、思い出すことがあります。

おもしろいことを探そう
知らないことを見つけよう

 「なにかおもしろいことはないかな?」「ぼくの知らないこと、みんなも知らないようなことを見つけよう」そう思ってみるようにしています。

 こちらのサイトでは、バイオリン演奏について気がついたことを書いたり、レッスンを受けてくださった皆さんとのやりとりから学ばせていただいたことをご紹介しています。

 メールマガジンでは、私の主催するイベントのお知らせなども随時行います。
メルマガバナー

タイトルとURLをコピーしました