プロ・ヴァイオリニストNさんから、レッスンのあとメールを頂きました。
あの 肩・首の力が抜けたリラックスした快感との再会を求めて、日々、自己観察と試行錯誤をしております。
しかし未だに再会できていません。
……(以下、略)……
私は、次のようなお返事を書きました。
いちろーたよりNさんへ
レッスンの時の気持よさは、
自由なカラダによってコリや痛みのない状態の気持よさだったり、
自由なカラダがもたらした演奏の快感だったり、
快適さがいくつも折り重なっていたのだとおもいます。紙一重の違いかもしれませんが
前回のレッスンのときに取り組んだのは、
じつは「自由なあの感じ」を求めることではなくて、
「どう動けるのか、どう動かすとどんな音になるか」を調べていったんです。結果としてさまざまな重圧から解放されたので
快感が得られたのではないでしょうか。ですから、快感を手に入れることができたときの
考え方・取り組み方を再現するようにしてはいかがでしょうか。
Nさんよりお返事
あの感覚ではなく、あの、考え方でやってみる、というアプローチの仕方納得!でした。
また、次のようなお便りもいただきました。
先日、件の曲を本番でひいてきました。
首、肩を出来るだけ緩め、速いところはトコトコトコと、歌い、弾く前には自己認証、自己演奏認証を沢山して、自分自身の成長にフォーカスしなが、弾いてきました。
落ち着いた気持ちでした。
そして、その後も、弾くことに対して、気持ちは落ち着いています。
この調子で、緩やかな登り坂を登っていきたいものです。
いちろーたはこう思う
どんなステージからでも成長できる余地があります
どんなに上達したあとでも、さらに上達の余地はあります。他の人が羨むような技術や音楽性を持っていたとしても、さらに良くなる余地が常にあります。
世の中で「常に」といえる数少ないことが、このことです。人のやれることは常に広げることができます。